10年ほど前から自分の考え方を変えようと思ったことがあります。
それは、生きていくうえで又は人生において
「運の悪い人も、運の良い人もいない。」
あるのは
「運が悪いと思う人と、運が良いと思う人」
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そうなんです。
自分は何をやっても、ついてないとか運が悪いと思っていた時期は当然ありました。
確かに人生において、失敗は星の数ほどありますし、やってきました。
しかし、よくよく考えてみると、自分が行動した結果失敗したというだけであり
行動しなければ失敗はないということです。
行動しないということは成長がないということでもあると思うのです。
その場に佇んでいるだけ。その場所から動かずに、周りを見回すだけ。
夜の街灯の下で明かりの範囲内だけで自分の探し物をしているだけ。
そして暗闇のほうは探そうとしない。
なぜ?明かりがないから・・・・。
街灯がという明かりがないから探さない。 街灯という他人の力(外的な援助)がないから自分の探すものが見つからない。その援助の範囲だけで探そうとする。
その結果何も見つからず「運が悪い」と結論を付ける。
見つからないのは他人のせいと思い込む➡運が悪いと思ってしまう。
そうなのかな?
人生とは「自ら燃えなければどこにも光りはない」と思うんですよね。
マッチのようなものなんです。
自分の探すものを自分の足でマッチに火を付けながら捜し歩く。
1本、2本とマッチを摺りながら明かりをつけてやがて蝋燭(ロウソク)を見つける。
その蝋燭は大きいかもしれないし、小さいかもしれない。
その人の夢にもよるでしょう。しかし、自らが行動し明かりを付けながら
マッチをともしながら蝋燭の明かりという目標、人によっては
夢かもしれないけれどそこに達すれば充実感は多いと思うのです。
しかし、蝋燭はなかなか見つからない場合もあります。
考えてみれば、幼少のころ自転車に乗れなかったのに乗れるようになったという達成感もありました。 今思えば些細な成功体験ではありますがそのようなことを繰り返しながら生きてきたように思うのです。
それは大切なことであると思うのです。
大きい蝋燭はいまだに見つかっていませんが私は歩き続けます。
マッチに火をつけながら・・・。
だから
心の置き所一つなんですね。 運がいいと思うか思わないかは。本人の心だろうと思うのですね。
運がいいと思うこと!
例えば失敗しても「運が良かった!失敗というノウハウが手に入った」
と思うべきなんです。成功したときのノウハウは賞味期限がありますが失敗のノウハウはずっと価値があります。
「心ひとつの置き所」好きな言葉です。
小学校の時昼休み校庭で遊んでいるときは
「もっと広ければ楽しいのに、いいのに」と良く思ったものです。
だけど、校庭の草取りや石拾いをするときは、
「校庭がもっと狭ければいいのに」と思いました。(笑)
人は自分に都合の良いようにしか思いません。
だから、心ひとつ、何があっても
自分はついてる!と思うことが大切なんだろうと思うのです。
楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。
最後までお読みくださりありがとうございます。
考え方を変えるともっと楽に生きられる気がします